主に導かれた大学で挫折してしまい、自分の力では本当に主に従うことができない、何もできない者だということを思わされました。けれど今となっては、その挫折も益となっています。大学生の頃、泣きながらただ主を礼拝していた月日を通して、霊と真によって礼拝するスピリットが培われていったのだと思います。

長崎 望